iPhone買って思ったこと。
しっかし、それにしてもiPhoneは
ネットユーザー向け(しかも上級者)だなぁ、と再認識。
きのう、逗子のsoftbankショップでiPhoneを衝動買いしたんです。
となりの受付にいたオジサンもiPhone欲しいらしく、店員さんが「iPhone購入希望者向けの注意事項」を説明してたと思ったら、いつの間にか諦めて帰っちゃったみたい。
そりゃそうだ。制限が多すぎる。
・PCかMacと、iTunes環境が必須
・無線LAN環境が必須
・メールの設定は自分でやらないといけない
(PCアドレスも使えるってことで、ここが魅力でもあるんだけどね)
・メールの設定がわかりづらい(ググらないとわからないよこれ)
・ワンセグ、おさいふケータイなどの日本の携帯には標準装備的なものが一切ナシ。
・そもそもsoftbankは一部地域では絶望的なほどつながらない。
それでもなんで買ったのか?
もともと携帯あんまりつかってなかったし、どうせ毎月5000円〜1万円携帯代として払うんだったら、最新のインターフェース(操作感)とまだ開拓されていないあたらしい世界を体験しときたいな、って思ったのが大きな理由です。
とまぁ、なんだか夢見がちな理由ですが、これから世に出てくる携帯をはじめとしたいろんなツールは、間違いなくこのiPhoneをお手本として、大きな影響を受けた上でのものであることは間違いないのです。
ものづくりをする身として、しかもそれが同じ土俵(WEBとか)にいる身としては、
「体験している」と「体験していない」の差は、当然作り出すものにも影響するわけで。
ぜんぶ、「手のひらの中におさまる」んですよね。
それが基準として考えられてる時点で、僕らはいつでも目線は手元に、親指を動かすスピードは進化し続け、前を見ずに歩き、風景も見ずに、「外にいること」の感覚がマヒしていく。
いつの間にか、「携帯するもの」に縛られてる生活してるんだよなぁ。
携帯も、
DSも、
iPodも、
iPhoneも。
ほんとは、多摩川に投げ捨ててやりたい。(笑)
いや、逗子に戻ってきたから、田越川か。
でも便利だから、みんなが持っているから、仕事の上で必要だから、
持たないという選択肢が失われていて、だから日々使い続けてる。
ほんとに、自由になるのは大変なのだ。