おとやすみ日記

ゲームプランナー、一児の父です。

「スターウォーズ帝国の逆襲」を改めて見て感じた、娯楽の歴史とパクリについて。

連休中、嫁がスターウォーズのDVDを借りてきたので久々に見ました。
たしか劇場公開二作目のやつです。僕はこれが一番好きですね。ヨーダも出てくるし、シリーズ中一番のネタバレもあるし。(親子の、、ってもう既知だよね)
ふと見ながら、宇宙船内のドンパチやるシーン(壁に隠れながら時々振り返って撃つアレ)や空中戦のシーンなどは、後世のSF映画に多大な影響を与えたんだろうなぁ、と思ったんです。
もちろんスターウォーズ自体も、それ以前の映画から影響されて生み出されたものですが。(ジェダイのネーミングは時代劇から取られた、なんて話も)
・・話が飛びますが、じつは昨年秋に初めてちゃんと最初から最後まで「天空の城ラピュタ」を見ました。
なんでこんな面白いものを今まで見て来なかったんだろうとショックをうけたんですが、そういう話は置いといて。。
何が言いたいかというと、空中に浮かぶ自然いっぱいの島、というのは後々にクロノトリガーやワンピース劇場版(ストロングワールド)に真似されてると感じましたが、娯楽における「影響」や「インスパイア」は、今の時代「パクリ」とかそういうセコい発想では語れない時代なのかなと思うのです。
先人の生み出したスタイルを組み合わせたりすることで新しいものを生み出すという方法は、映画に限らず様々な分野でされていることです。
映画や音楽、文学などの「娯楽」には歴史があり、映像や書籍を通じてその時代時代に生まれた「娯楽の歴史」は現代まで受け継がれています。
しかし、人間には寿命があります。その時代時代をずっと生きてきた人、というのは存在しないわけですから、古い手法をさも自分が産み出したかのように模倣しても、発表する場所によってはバレないことだってあるわけです。
娯楽と同じように、火の扱いや食文化などに代表される「生活に密着した古くからの先人の知恵」は共有の財産として受け継がれています。
ですが、カルボナーラを出すレストランに対して「このメニューはパクリだ!」と叫ぶ人はいません。
極端に言うと、生活に必要不可欠ではない、娯楽という分野の、それもある一部の表現にのみ「パクリ」だと言われるのです。
「あ、これパクリじゃん!」という状況になるのは、作り手から「自分がゼロから生み出したものだ!」という意識が感じられたとき。要は受け手がそう感じた場合です。

自分が20代になりたての頃は、歴史になにかを残すための今までにない新しいものを生み出して周りを驚かすことがものづくりの理想だと感じていましたが、最近は上のようなことを考えるようになりました。
だからといって「パクリ」を推奨し実践している、というわけではないんですが、「先人が遺していったものをなにかに活かす、遺していったもので遊ぶ」くらいの気持ちがいいのかな、と感じるようになったのです。

余談ですが、昨年末の紅白で嵐のダンスと映像を組み合わせたパフォーマンスが話題になりましたが、先日見に行ったイベントでのKAGEMUハナブサさんのパフォーマンスを見て、「そういえばこの手法はこの人達のほうが先にやってたなぁ」と思いだしたりしたのも、今このようなことを感じているきっかけになったのかもしれません。

ちょっと長くなってアラが多い文章になっちゃいましたが、娯楽、エンターテイメントの定義がアップデートされた気がした3連休でした。