おとやすみ日記

ゲームプランナー、一児の父です。

「作りたいもの」を改めて考える。

20代前半の頃、作りたいものがたくさんあった。

とにかく承認欲求が強く、そのための自己表現をしていた時期だった。

自己表現の手段として楽器を手に取り音楽を作ったり、インタラクティブなWEBサイトを作るために勉強したりしていた。しかし結局、そういった欲求から生み出したもので、周りから高く評価されたり、なにか誇れるものが生まれることはなかった。

自分の代表作はなにか?と聞かれたら、現在も仕事として取り組んでいる、「あるゲーム」がそれに当たるだろう。しかし、20代前半の頃にやりたかったことが実現できてそれが代表作になったのかというと、そうではない。そうではないのである。

仕事とは面白いもので、自分の得意分野ではないところから成功が生まれるということがある気がする。なぜなら自分はまさにそのパターンだったからだ。

ではなぜ成功できたのかというと、周りの人やタイミングに恵まれたということが一番の要因なのだが、そもそもその前段階に「それが面白いという確信があったから」というきっかけがあったからだと思う。得意分野でもなく知識もなかったテーマだったのだが、「こういうゲームがあったら絶対面白いはず!」と自信を持っていた。そして、そう感じた気持ちを具現化して、皆にも共感してもらいたい、という想いがものすごく強かった。

だからこそ、アイデアは溢れてくるし、モチベーションも高く維持できた。もう3年前の話になるが、当時をいま改めて振り返るとそういうことだと思う。

では今現在はどうか?「20代前半の頃、作りたいものがたくさんあった。」と冒頭で書いていることからも推測できるように、そう、今は「作りたいもの」というのが思いつかないのである。

このことについて最近までずっとひっかかっていたのだが、いまこの文章を書いてようやく腑に落ちる結論が出た。

「なにかを作りたい」ということではなく「〜を変えたい」という思いがまず先にある気がするのである。

自分が作ったものが世の中に溶け込んでいって、人々に影響を及ぼし、その先にある行動や考え方をちょっとだけでも変えていく。そういうことがしたいのだ。

自分の考え方や「面白い」と感じる感覚を、他の人にも共感してもらって楽しんでほしい。それが目的。そのための手段は、ゲームだろうがアプリだろうがWEBサービスだろうが、なんだっていい。なんだっていいんです。

今、自分の中で「つまらないな」と感じている出来事や世の中の価値観に対して、「こうすればちょっとだけでも楽しくなれるのにな」という提案をしたいというか。

集約すると、世の中に遊び心を提供したいんだと思います。